東京高等裁判所 平成11年(ネ)5640号 判決 2000年3月13日
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人の控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は、根岸流宗家という名称(根岸流手裏剣術第五代宗家又は同流の嫡流の承継者であることを示す名称を含む。)を使用してはならない。
3 被控訴人は、控訴人に対し、四〇万円及びこれに対する平成一〇年四月一八日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は、一、二審を通じて、被控訴人の負担とする。
二 控訴人の本訴請求の趣旨
右控訴人の控訴の趣旨の2項及び3項と同旨。
第二 本件事案の概要等
本件は、根岸流手裏剣術第五代宗家であると主張する控訴人が、被控訴人が右宗家の名称を詐称して控訴人の人格権を侵害しているとして、被控訴人に対し、右宗家の名称の使用の禁止と人格権の侵害による不法行為を理由とする慰藉料の支払いを求めている事件である。
本件における当事者双方の主張は、原判決がその「事実」欄の「第三 当事者の主張」の項に摘示しているところと同一であるから、右の事実摘示を引用する。すなわち、控訴人は、昭和四五年五月二六日に根岸流手裏剣術第四代宗家の前田真鋭から右宗家の地位と共に伝えられるものとされている伝承宗家刀の贈呈を受けることによって、右宗家の地位を譲られて以後その地位にあり、右宗家の地位にある者は他人によって右宗家の名称を使用されないという法律上の利益を有しているところ、被控訴人が右宗家の名称を詐称して日本武道館において演武を行ったことにより控訴人の人格権を侵害したとするのに対し、被控訴人の側では、被控訴人こそが、昭和三四年一月一日に右前田から根岸流手裏剣術宗家の地位を譲られ、以後根岸流手裏剣術第五代宗家の地位にあるものであると主張しているのである。
第三 当裁判所の判断
控訴人の本訴における請求が、自己が根岸流手裏剣術宗家の地位にあることを理由に、被控訴人が右宗家の名称を違法に詐称しているものとして、被控訴人に対し、人格権の侵害を理由とする右宗家の名称の使用の禁止と不法行為を理由とする損害賠償を求めるものであることは前記のとおりである。
しかしながら、控訴人の主張する根岸流手裏剣術宗家の地位なるものは、その主張からしても、古武道たる手裏剣術の一流派としての根岸流の宗家(被控訴人の主張によれば、その流儀における絶対者であり、その流儀が専属する者をいうものとされる。)たる地位にすぎないものと認められるところであり、この地位が、経済的な利害や一般社会における名誉等につながるといった形で、何らかの意味で具体的な権利又は法律関係に関わってくるようなものであることを認めるに足りる証拠は存しないものというべきである。控訴人は、この根岸流手裏剣術宗家の地位なるものが、人格権の一内容としての専用権をその内容として含有するものであり、また、不法行為法上の保護を受ける法的利益に該当するものであると主張する。しかし、広く社会一般に個人を他人から識別し特定するという機能を有するものであることが認識、是認されている氏名等の場合とは異なり、本件における根岸流手裏剣術宗家という地位あるいはその呼称については、それが古武道たる手裏剣術の一流派としての根岸流という極めて限られた集団の内部においては何らかの機能、効用等を有していることはうかがえるものの、これが広く社会一般に人の人格的利益の一内容を構成するものとして機能し、さらにはそのことが是認されているものとすることは困難なものというべきである。
なお、本件における当事者双方の主張内容からすると、根岸流手裏剣術宗家なる名称が人格権による保護の対象となるものであり、右宗家の地位にある者が他人から宗家の名称を使用されないという法律上の利益を有するものであるとする控訴人の主張については、被控訴人の側でもこれを認めているかのごとくである。しかしながら、この点に関する法的な判断が当事者間の自白の対象となるものでないことは当然であるから、被控訴人がこの点に関する控訴人の主張を争わないことによって、右の点に関する当裁判所の判断が左右されるものでないことはいうまでもないところである。
そうすると、右のような性質を有するにすぎない根岸流手裏剣術宗家の地位なるものを理由に、被控訴人に対して右宗家の名称の使用の禁止や損害賠償を求める控訴人の本訴請求については、これを認める余地はないものとせざるを得ないところである。
したがって、控訴人の主張の内容の当否に立ち入った上で、控訴人が根岸流手裏剣術宗家の地位を譲られたものとすることに疑問があるとの理由で控訴人の本訴請求を棄却した原判決は、その理由付けの点はともかく(むしろ、本件においては、仮に根岸流手裏剣術宗家なる地位あるいはその名称が何らかの意味において法的な保護の対象となり得るものと仮定した場合においても、その宗家の地位を正統に継承する手続がどのようなものであるかなどの問題を司法裁判所が判定するのは至難のことといわなければならない。現に、本件全証拠によっても、根岸流手裏剣術宗家なる地位の正統な継承手続がどのようなものであるかは明らかでないものといわざるを得ず、控訴人と被控訴人とのいずれがこの正統な継承手続を経て右の宗家の地位を継承したものかは不明なものとせざるを得ない。したがって、いずれにしても、自己が右根岸流手裏剣術宗家の正統な継承者であることを前提とする控訴人の本訴請求は理由がないものというべきことになる。)、結論においては正当なものというべきこととなる。よって、控訴人の本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 涌井紀夫 裁判官 増山宏 裁判官 合田かつ子)